コラム「絵心のススメ」第6回 緊張の劇団オーディション ~その1~
やや間が空いてしまったが、学生時代の英語劇の話の続き。「実物」の私を知る人は笑っちゃうと思う。当時、私は役者を目指していた。ちょっと恥ずかしいが、マジで。大学に入り、英語のことを何かやろうかなぁとESS(英語会)に入ったところ、たまたま触れた英語劇にのめり込み、英語じゃなくて劇に興味が向かってしまった。そう、惹かれてしまったのだ。他大学の学生英語劇からも刺激を受け、友達に連れられてパルコ劇場などでプロのお芝居も結構観た。幕間のホールロビーには有名人も居て、そこは今までに見たことのないような眩しい世界。もともと演劇には興味が無かったが、「俺も有名に!」「舞台で目立ちたいー!」という思いが膨らんだ。
そして4年生になる前、そんな私のために同級生が見つけてきてくれたのが、ある有名劇団の練習生のオーディション。下宿近くの写真屋さんでポートレートを撮り、選考用書類を送ったところ受験のお知らせが来た!
春休みの朝、緊張した面持ちで劇団のアトリエ(練習場)の最寄り駅を下車。気分は、受験勉強を全くせずに試験場に向かう学生のようだ。手応えは一切無い。あるのは、ただ自惚れだけ。駅から続く長い坂を登って会場に着くと、そこにはオーディションを待つ400人の女性陣と、ちょこっと40人程度の男性陣がいた。
男性陣はバレエ用だろうか、かの有名なバレエダンサーのミハイル・バリシニコフばりのタイツ姿で念入りな柔軟体操をしている。体を伸ばし、床にお腹をビターっと付け、めちゃめちゃ柔らかい。今でこそ男性がランナー用のピッタリとしたタイツを着用するのは一般的になった。が、当時の私には、男性受験者のほぼ全員がタイツ姿の光景は、かなり新鮮で圧倒された。そんななか、一人だけスウェットパンツでラジオ体操と屈伸運動している私。あきらかに場違い。のっけから、周りとは準備も心構えも違うのだなと実感した。
でもそれは序章にすぎず、いよいよオーディション開始。課題は、踊り、歌、セリフの3つ。講師を務める劇団の役者さんが現れ、いきなり音楽がかかる。ジャジャジャ、ジャジャジャ、ラッチャン!(上がる) ジャジャジャ、ジャジャジャ、ラッチャン!(下がる、記憶では)と、イントロが鳴るやいなや、講師が踊り出した。
ワン、トゥ、スリー、フォー。ワン、トゥ、スリー、フォー! 「はいじゃあスタート!」。講師が言うと、周りのみんなが踊り出す。しかも先生の踊りを即時完全コピー。一斉に脚を上げくるくる回り、踊る、踊る。
ワン、トゥ、スリー、フォー。ワン、トゥ、スリー、フォー!
えっ⁉えぇー? なんで見てすぐに踊れるのー⁉ みんな日々学校に通い、訓練を重ねてダンスのパターンも基本も身に付けているのだ。あわわ、あわわ、ついてゆけない。カッコ悪いし、恥ずかしい~。そう思っているうちに「終了」。カーン…。
続いて別室で歌の試験。楽譜が読めないので、伴奏してもらってもどこから歌っていいのかわからない。「スミマセン。アカペラでやらしてください!」。
そして、カセットテープを買って練習した、ウエストサイドストーリーの劇中歌「トゥナイト」を披露(英語で!)。「声がいいから練習すれば良くなるよ」と温かいお言葉をいただいた。これは嬉しかった~。
最後はセリフの言い回し。ここは気持ちを込めて、短い一文のセリフを独り話し掛け、これで全て終了。
お昼の終わりに会場の壁に合格者の一覧が貼り出され、名前のあった人は午後の二次オーディションに進める、とのこと。果たして、受かるのか?俺。
迎えたお昼過ぎ。貼り出された中にあるではないか、私の名前。男性候補者は40人が20人になり、まずは2倍の関門は突破した。一方、女性候補者は400人が20人に絞られ、20倍の難関だった。次回、さらに緊張の二次オーディションの様子を。
今回は、ミハイル・バリシニコフを描きました。ソ連出身で、アメリカに亡命したバレエダンサー。難しかったー。画用紙に10枚描き直した。ふぅ~。
プロフィール
SMBCコンサルティング株式会社 常務執行役員 遠藤宏之
1989年住友銀行(現・三井住友銀行)入行、法人部門やリテール部門を経て現職。40歳ごろから行内で似顔絵を描く機会が増え、当サイトでも制作した似顔絵を所々で提供。