ヒューリスティックとバイアス―行動経済学とは?(第一回)

行動経済学は、経済学と心理学を融合させた経済学の新領域です。
人間がかならずしも合理的には行動しないことに着目し、伝統的な経済学ではうまく説明できなかった社会現象や経済行動を、人間行動を観察することで実証的にとらえようとする経済学と言えます。
例えば、「100%成功します」という表現と「99%成功します」という表現では、たった1%のごくわずかな差でしかないのに、心理的には1%以上の大きな隔たりがあるように感じてしまうものです。
このような心理的な働きが、経済行動に与える影響を行動経済学は取り扱っています。
又、行動経済学の知見は、マーケティングや投資といった身近な分野に活かされています。

本記事では、行動経済学でノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマンとリチャード・セイラーが発見した理論の中から、ヒューリスティックとバイアスを中心に解説していきます。


1.行動経済学の基本概念

(1)伝統的経済学は、人をどのように考えているか

経済学では、人の行動を一般化・抽象化するために以下の特徴を持つ「ホモエコノミクス=合理的経済人」というモデルを用いています。


●商品に関するすべての情報と自分の予算を、正確に把握し考慮する

●その上で、自分の効用(満足度)が最大となるように商品を購入する

●これらの判断を適切かつ迅速に決定する

●自己利益を追求するためだけに行動する

 

「ホモエコノミクス」というモデルは、経済学が成立するにあたっては一定の成功を収めてきましたが、実際の人間の行動は、しばしば非合理的で、損得を度外視した行動を選択し、また自分よりも他者のほうを尊び、自分を捨て利他的行動を選択することもあります。

 

(2)行動経済学は、人をどのように考えているか

そうした非合理的な行動が無視できなくなると、経済学者は「人は経済合理性を求めているはずだ」という仮定・前提を引きずりつつ「限定合理性」という用語・概念を作りだして分析するようになりました。


「限定合理性」とは、人がどんなに合理的な行動を取ろうとしても、さまざまな制約条件によって、あくまで限定された合理性しか持ち得ないことを示しています。

 

人間が「限定合理性」しか持ち得ない理由は、以下のものが考えられます。


●人間が合理的な選択のために用いる知識は、実際には常に断片的である

●人間は合理的な選択を行う際、不完全な予測に頼らざるを得なくなる

●人間が合理的選択のために用意できる選択肢は、実際に行動可能な選択肢のなかの23個のみである

 

ある意味で人間らしいと言える非合理さ、心理学的なアプローチを経済学に加味し、人がどのように考え、どのように行動するかの実験を繰り返しながら探り導き出されたのが、行動経済学の人間像と言えます。 

2.「速い思考」と「遅い思考」

では、限定合理性しか持ち合わせない人間が、意思決定を行う際、どういったプロセスをたどっているかを考えてみたいと思います。

 

認知心理学では、私たちはコンピューターのように矛盾なく最適解を選んでくれるマシンではなく、全く違う機能を持った2つの処理システムから成り立っていると考えられています。

 

2つのシステムは、非常に対照的な性格を持っています。システム1の処理は、無意識のうちに自動的に行われ、その時々の文脈やストーリーに影響されるのに対して、システム2では、論理演算の規則に基づいた熟慮的な処理が意識的に行われています。

 

進化論的には、システム1は、私たちが動物的であったずっと昔から、生存を有利にするために発達してきた部分であるのに対して、システム2は、環境の変化や社会の形成とともに、進化してきた新しい脳神経ネットワークに対応したものと考えられています。

 

私たちは、日常、簡単な問題に対してはシステム1で対応し、難しい問題に対しては、システム1がシステム2に出番を要請し、処理を行っていると考えてください。 

(ただし、システム1が対応した場合でも、システム2でその決定を承認していますが、それほど検証はされず、承認されると考えられています)

 

カーネマンは、疲労なしに高速で行われるシステム1の処理を「速い思考」、消耗を伴いながらゆっくりとしか行えないシステム2の処理を「遅い思考」と呼び、それぞれの思考の特徴として、次のものを挙げています。


「速い思考」:

●自動的に高速で働き、努力は不要か必要であってもわずかである

●本来の質問を優しい問題に置き換えようとする

●反復が多いとよいことと認識=よく出会うものは安全と考える

●因果関係を発見する(直接の因果関係がないものを結びつける)

●判断が容易でない場合は、システム2を要請する

   

「遅い思考」:

●複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てるもの

●「システム1」の判断が間違っていれば、却下したり、修正したりする

3.ヒューリスティックとは

「人が何らかの意思決定をするときに、完璧な分析はせずに、簡略化した思考で判断する手法」をヒューリスティックと呼びます。


よりイメージしやすく伝えるとするならば、「簡単に解けない複雑な問題に対し、自分でも解けそうな、より簡単な問題に置き換えて考える思考プロセス」とえます。

 

このとき、置き換えとして頭の中で作り出した簡単な質問を「ヒューリスティック質問」と呼びます。実際の日常生活では、ヒューリスティック質問に回答すれば、本来の質問に対しても正解を出せることが多くあります。

 

しかし、ヒューリスティックは意思決定に関わる様々な要因を考慮した論理的思考を簡略化したものですから、導き出された結論にバイアス(歪み)が生じる可能性もあります。

 

例えば、スーパーで、自分に合ったシャンプーを選ぶ時に、どのように商品を決定しているか考えてみてください。

 

すべての商品について、効能を調べるというようなことは省略し、過去「使ったことのある」商品やCM等で「知っている」「覚えている」商品を選んでいませんか。これは、「再認」というヒューリスティックです。


あるいは、商品棚にたくさん並べられている商品は、多くの人に買われていると判断し、購入を決めるかもしれません。これは、「模倣」というヒューリスティックです。

 

このように、ヒューリスティックは、最適な商品を探すうえでの時間的・金銭的コストを節約させる機能がありますが、もう一つの理由に、脳の負担を軽減しエネルギーを節約するという働きもあります。

 

行動経済学の関心は、主に以下の3つの問題にあります。

 

ⅰ)どのような場合に直感処理であるヒューリスティックが優位になってしまうのか

ⅱ)陥りやすい判断や意思決定の誤り(バイアス)にはどのようなパターンがあるのか

ⅲ)そうした誤りを修正するにはどうすればよいのか

 

それでは、代表的なヒューリスティックを見ていきましょう。

 

4.利用可能性ヒューリスティック

「利用可能性ヒューリスティック」とは、自分にとって思い出しやすい事柄を判断の手がかりを優先して行う推論です。

 

例えば、「60歳以上で離婚する人」といったカテゴリーの頻度を見積もるときは、記憶から同種の例を呼び出し、それがたやすく呼び出せるようであれば、規模は大きいと判断しています。


つまり、質問を「60歳以上で離婚する人が多く思い出せれば、頻度は高い。少なければ低い」と読み替えています。

 

「利用可能性ヒューリスティック」が、意思決定の誤りを生む原因は、人は「自分が見たもの・体験したこと」を過大評価しやすい傾向にあるためとも言えます。

 

又、自分にとって思い出しやすい事柄はよくあることで、自分にとって思い出しにくい馴染みのない事柄は世の中でも起きないと確信を深めて考えてしまいます。

 

そのため、印象に残る飛行機事故のリスクを過大に評価することや、プロジェクトの成功ばかりに注意がいき、リスクについて過小に評価することが起こります。

 

では、「利用可能性ヒューリスティック」から生じる利用可能性バイアスを具体的に見ていきましょう。


 次の3つの内、日本の中で数が多い順に並べてみてください。

A:コンビニ B:歯科医院 C:美容院

 

きっと、多くの人は

コンビニ→美容院→歯科医院  と思われたのではないでしょうか。

 

正解は、美容院(約254千軒)→歯科医院(約69千軒)→コンビニ(約56千軒)

 

業種別の店舗数という、不確実な事柄を推定する際に、自分の記憶や印象に残っていることを優先させる「利用可能性ヒューリスティック」を使っている可能性があります。

 

次に、ドイツの心理学者であるノーバート・シュワルツの行った実験をご紹介します。


被験者を2つのグループに分けて、別々の質問をしました。

 

A:何か強く主張した例を6つ書き出し、自分はどの程度自己主張が強いかを自己評価させたグループ

 

B:何か強く主張した例を12個書き出し、自分はどの程度自己主張が強いかを自己評価させたグループ 


実験の結果、Aの被験者の方がBの被験者よりも、自分を自己主張が強いと評価しました。

 

Bの被験者たちは、12個も思い出すことが困難だっため、「自分の主張は弱いものかもしれない…」と錯覚してしまったと考えられます。

 

これは、自分にとって思い出しやすい事柄は確信をもって、よくあることと考える「利用可能性ヒューリスティック」を使っている可能性があります。 

 

利用可能性バイアスへの対応

 

事業を拡大するプロジェクトを検討するような場合、最近の成功事例ばかりが思い出され自身過剰な状態に陥り、失敗例やリスクのような悪いことは頭から抜けてしまいがちです。

 

このような利用可能性バイアスによるリスク軽視対策には、「死亡前死因分析」が使えます。

 

「死亡前死因分析」とは、プロジェクトが始動する前に、「1年後、このプロジェクトが失敗していたとしたら、それはどんな理由か?」を関係者全員で話しあうことです。

 

プロジェクトの議論が進むにつれ、反対意見は言いにくくなってしまいます。懐疑的な見方に正当性を与え、推進意見を持つ人にも、見落としている要因がありえることを考えてもらう効果がありますので、ぜひ実践してください。 

5.代表性ヒューリスティック

「代表性ヒューリスティック」とは、その人が抱く代表的・典型的なイメージに対する類似度を、判断の手がかりを優先して行う推論です。

 

カーネマンは、代表性に基づく直観的な印象は、しばしば、確率予想より精度が高いと述べています。

 

例えば、プロスポーツ選手で背が高い人は、サッカー選手であるより、バレー選手である確率の方が高いや、若い男性は、高齢の女性より荒っぽい運転をしがちであるなどです。

 

背の高い人は、バレー選手はイメージに近いため代表性が高く、逆に背の低いバレー選手はイメージから遠いため、代表性が低いと考えられます。

 

「代表性ヒューリスティック」が意思決定の誤りを生む原因は、具体的な固有情報を提供されると代表的・典型的だと思う事柄(=ステレオタイプ)の発生確率を過大評価してしまうからだと考えられます。

 

ステレオタイプとの類似性(=代表性)だけに注目し、基本的な確率の法則のこともステレオタイプの信頼性に対する疑念も忘れてしまうのです。

 

カーネマンとトヴェルスキー行った、「代表性ヒューリスティック」の実験で、もっとも有名なのが「リンダ問題」です。少し問題を簡略化してご紹介します。


リンダは次のどちらである可能性が高いですか。

 

リンダは31歳独身女性外交的で非常に聡明で、大学生時代は哲学を専攻し差別や社会正義といった問題に関心を持ち、核兵器反対デモにも参加したことがある。

 

A:彼女は銀行員である。

B:彼女は女性解放運動に参加している銀行員である。

 

実験の結果は、AよりもBを選んだ回答者の方が多かったということです。

 

冷静に考えれば、「女性解放運動に参加している銀行員」は、「銀行員」に含まれていますので、Aの可能性の方が高いことはお分かりいただけると思います。

 

間違った回答者は、この問題を、「リンダの人物像は、『銀行員』と『女性解放活動家の銀行員』のどちらのステレオタイプに近いか?」という質問に置き換えていたと考えられます。

 

リンダの具体的な固有情報・人物説明が、女性解放運動家のステレオタイプに一致することから、被験者は誤った回答を出してしまったのです。

 

代表性バイアスへの対応

代表性に関連するバイアスを対応するヒントとして、二つの事例を挙げておきます。

 

少数の法則


「アメリカにある3141の郡で腎臓ガンの出現率を調べたところ、顕著なパターンが発見された。出現率が低い郡の大半は、人口密度の低い田舎の農村部だったのだ」

 

このような統計結果を聞くと、私たちはつい「出現率が低い田舎には腎臓ガンを予防する何かがあるはずだ」という予想をたててしまします。しかし、実際は、次のことも同時に言えるのです。

 

「アメリカにある3141の郡で腎臓ガンの出現率を調べたところ、顕著なパターンが発見された。出現率が高い郡の大半は、人口密度の低い田舎の農村部だったのだ」

 

このことは、ただ単に調査の対象となる地域の人口が少ないことが原因で、こういった偏った統計結果が得られている可能性があるのです。

 

なぜならば、統計データには「調査の対象となる数が少なければ少ないほど、単なる偶然によって極端な値をとりやすくなる」という性質があるからです。

 

「平均への回帰」

バスケットボール選手のAさんは、以前の練習試合では、3ポイントシュートがものすごく入り、試合でも大活躍しました。

 

しかし、本戦では、以前の練習試合よりも思うように3ポイントシュートを決めることができず、ミスが目立ちました。 Aさんは、本当は無能なのでしょうか?

 

コーチは、試合後、Aさんを厳しく叱責しました。すると、次の試合では、また、活躍をしました。 コーチは、「叱ったから、成果をあげることができたんだ!」と感じています。

 

叱ることは、本当に効果を上げたのでしょうか?

「平均への回帰」は、良いことも悪いことも最終的には平均へと戻るという統計学的現象です。

 

つまり、Aさんの出来がランダムに変動しただけで、平均よりよくできた時は活躍し、平均よりよくできなかった時に、コーチは叱ったというという可能性が考えられます。

 

6.調整とアンカリングのヒューリスティック

「調整とアンカリングのヒューリスティック」とは、ある不確実な事柄を推論する場合にその事柄とは本質的に関係のない事柄に、無意識に推論の出発点を置く現象のことです。

 

その出発点から推論を行っても、そこからの調整が不十分であるため、得られた結論は、出発点である無関係な事柄に、左右されてしまう傾向があります。

 

単に「アンカリング」と呼ばれることも多く、三大ヒューリスティックの中では最もよく知られています。

 

カーネマントヴェルスキーは以下のような実験を行っています。


 被験者を2つのグループに分け、「国連加盟国のうち、アフリカの国は何%を占めるか?」に回答してもらう。

 

回答する前に、宝くじの当選発表で使うルーレットで数字を見せる。数字は1100だが、細工がしてあり、必ず「10」か「65」で止まるようになっている。

 

●被験者グループの条件

グループAは、ルーレットが指した数字は「10」で、その数字を紙にメモしてもらう。

問題に回答する前に、「国連加盟国に占めるアフリカ諸国の比率は、いま書いた数字より大きいですか?小さいですか?」に答えてもらう。

 

グループBは、ルーレットが指した数字は「65」で、その数字を紙にメモしてもらう。

問題に回答する前に、「国連加盟国に占めるアフリカ諸国の比率は、いま書いた数字より大きいですか?小さいですか?」に答えてもらう。 


実験の結果は、


10」を見せられたグループA:回答の平均値は25 

65」を見せられたグループB:回答の平均値は45%となりました。

 

この実験結果から、問題とは全く関係ない数字でも、アンカリングが成立するということがわかります。

 

コストコに買い物に行かれたことがある方は、入口すぐに、高価な家電製品や、貴金属・ブランドバックが展示されていることをご存じだと思います。これも、これから買い物を顧客に、買い物金額を高めに修正するアンカリング効果を活用していると考えられます。


アンカリングへの対応策

通販番組でよくある、通常価格に対して特別価格を提示した上に、サービス品を付けるといった形で提案を叩き込んでくるのは、アンカリング効果から逃さないためです。素早く、アンカーを次々に打ち込んで、冷静に考える隙を与えず、安いという印象を持たせるのです。

 

又、値引き交渉は、相手に厳しい内容からスタートして、徐々に緩めていくのもですが、これもアンカリング効果を使っています。

 

完全にアンカリング効果を排除するのは難しいですが、その存在に気付いてさえいれば、冷静な対処はできます。

 

●アンカーを意識する

●相手からの情報だけでなく、自分から情報を得る

●予め決めた基準を動かさない、感情が揺さぶられたなら決断しない

といった対処で、誤作動の実害を防ぎましょう。

 

7.まとめ

今回の記事では、行動経済学を理解する上で基礎となる、行動経済学の人間像や意思決定について、ご説明をしてきました。


行動経済学の人間像は非合理でありながら、人間らしいと言えるだけでなく、合理的に判断していると自覚していても危うさがあることを前提としていることをご理解いただけたと思います。

 

次回は、経済学に大きな影響を与えた、プロスペクト理論を中心にお話をさせていただきたいと思います。


 

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