行動経済学とは?(第三回)—メンタル・アカウンティングやナッジなど

前回までの記事で、行動経済学の基本概念である、限定合理性とヒューリスティックスや2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者であるダニエル・カーネマンと共同研究者であるエイモス・トヴェルスキーが提唱した代表的な理論であるプロスペクト理論とフレーミングについて見てきました。

今回の記事では、2017年のノーベル経済学賞受賞者であり、著書「行動経済学の逆襲」により、日本に行動経済学を広く紹介したことでも知られる、米シカゴ大のリチャード・セイラ―の業績を中心にお話をさせていただきたいと思います。


1.セイラーの業績

セイラーのノーベル経済学賞の受賞理由は、経済的意思決定に系統的に影響を与える4つの心理的特性である、限定合理性、社会的選好、自制心の欠如、ナッジを明らかにしたことです。

 

セイラーの業績の主なものを見てみましょう。

 

ⅰ)「限定合理性」という概念は、伝統的経済学の前提であるホモエコノミクスに対して、「人間は認知能力の限界から、完全に合理的であることはできない」と否定した考え方です。

 

ハーバート・サイモン(1978年ノーベル経済学賞受賞)が提唱した考え方ですが、セイラーはその例として、金銭に関する意思決定で人間が無意識に行う心理的な操作である「メンタル・アカウンティング(心の会計)」を示しました。

 

ⅱ)「社会的選好」とは、伝統的経済学が仮定するように、「人々は自己利益だけを考えて意思決定する」のではなく、公平性や他者の利益も考えて行動を選好することを指します。

 

セイラーは、ゲーム実験で、人々は匿名性の下でも他者に対して公平に振る舞い、他者に不公平に振る舞った人に処罰を与えるためには自分のコストを払うこともいとわない傾向があることを明らかにしました。

 

社会的選好は、労働市場での賃金設定にも影響を与えていると言われています。

 

ⅲ)「自制心の欠如」は、例えば、今年こそはダイエットをして健康な体を手に入れると決意しても、目先のお菓子についつい手が出てしまうというような行動を示します。

 

経済学はこのような問題を「異時点間の選択」と言い、一定の割引率を使って計算しますが、セイラーは心理学を基としたゲーム実験を行い、現実的な割引率の構造を明らかにしました。

 

ⅳ)「ナッジ(nudge)」(ひじで軽くつつくという意)という概念を広く知らしめたことも大きな功績です。

 

「ナッジ」とは、心理的特性をテコにして強制することなく人々によい行動を取らせるというアプローチ手法です。

 

セイラーと法学者キャス・サンスティーンによる、2008年の著書『Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness』によって広く知られることとなりました。

 

実際、行動経済学の知見を基に労働者の貯蓄行動を改善させることに成功し、現実の政策にも大きな影響を与えています。

 

それでは、それぞれについて、詳しく見ていきましょう。 

2.メンタル・アカウンティング

(1)伝統的経済学の前提

伝統的経済学で仮定されている合理的経済人は、お金には何の色も付けず、全体の資産を把握し、全体最適な中で効率的に配分を行います。金銭以外の資産についても、感情的な思い入れを持つことはありません。

 

(2)メンタル・アカウンティング

 人がお金に関して意思決定する際、無意識に行う行動のひとつで、「心の会計」とも呼ばれています。

 

人間の意識は、一度に多くのことは処理できないことから、複雑な世界を簡単で扱いやすいものに変えようとします。

 

具体的には、心の中で家計費や娯楽費といった具合に勘定項目を設定することにより金銭に関する意思決定を単純化しています。

 

つまり、合理的に全体の資産の中での効果を考えるのではなく、狭い勘定項目の中でのやりくりで判断していると言えます。

 

また、同じ金銭であっても、その入手方法や使途に応じて、(時に無意識に)重要度を分類し、扱い方を変えることもあります。

 

したがって、時に不合理な選択をする傾向があります。

 

メンタル・アカウントに関するセイラーの行った次の実験をご紹介します。

あなたは映画を見に行こうとして、10ドルの前売りチケットを買いました。ところが、劇場に入ろうとして、自分がチケットをなくしたことに気付きました。あなたは、もう一度10ドルを払って映画のチケットを買いますか?

 

この問いに対して「もう一度買う」と答えた人は46%にすぎなかったそうです。

では、次の問題はどうでしょうか?

 料金が110ドルの映画館に、映画を観に行きました。劇場でチケットを買おうとした時、あなたは自分が10ドル紙幣をなくしたことに気付きました。あなたは、10ドルを払って映画のチケットを買いますか?

 

この問いに対しては、88%の人が映画のチケットを購入すると答えたそうです。

 

どちらの例でも「失った金額」は同じです。セイラーは、『娯楽費』という勘定科目で考えると、チケットを再度購入すると、チケット1枚に20ドルの「コスト」がかかることになり、映画の料金としては割高に感じられる。これに対し、10ドルの現金をなくすことは映画の『娯楽費』には含まれていないため、映画代としてもう10ドル出すことは苦にならないと説明しています。

 

これは伝統的経済学の原則に反して、限定的合理性しか持たない我々は、お金に色を付ける行動を行うということが分かります。

 

又、苦労して得たお金は慎重に使おうとするが、投資やギャンブルで儲けた利益はあぶく銭と考えて無頓着に扱ってしまう「ハウスマネー効果」やすでに投じた資金や労力(サンクコスト)にとらわれて、損を出している勘定に追加資金を投じる「サンクコストの錯誤」なども、メンタル・アカウントから派生する現象です。

 

3.公正性などの社会的選好

(1)何を公正と考えるか

伝統的経済学では、人は、自己利益を追求するためだけに行動すると仮定されています。

 

そのため、商品の供給より需要の方が多ければ、商品の価格は値上がりし、値上がりとともに、需要は減少し均衡します。

 

セイラーは、カーネマンと経済学者であるジャック・クネッチとともにカナダ政府の失業者訓練として行われる電話調査訓練制度を活用し、大規模な電話調査を行いました。

 大雪の日の翌日に、シャベルが大幅に値上がりした場合、これは容認できる行為でしょうか?それとも不公正な行為でしょうか?

 

その結果は、82%が不公正と感じるというものでした。

 

セイラーによるとこの現象は、「保有効果」によって説明できるとしています

 

「保有効果」とは、自分が所有するものに高い価値を感じ、手放したくないと感じる心理現象のことを言います。

 

つまり、買い手は、自分が慣れ親しんだ取引の条件は、当然受けるべき権利(所有している権利)だと思っており、それが悪化すれば、損失と受け止めるのです。

 

(2)賃金について

伝統的経済学では、賃金は生産性に応じて決まり、そのことが労働市場の効率性を高めるとされています。

 

つまり、企業の売上や利益が低下した場合、企業は賃金を下げて、利益を確保するはずです。

 

しかし、賃金を下げる行為は、労働者には不公正に感じられ、生産性の低下を招きかねません。したがって、実際は、賃金は全く下がらないかことが多いのです。

 

このことは、労働市場は、必ずしも効率的でないことを示唆するとともに、労働に対する価格決定に関しても、公正性の観点が重要な要素であることを示しています。

 

公正性という心理学的な考え方に、経済学的意味づけとした貢献は重要なものといえます。

 

(3)独裁者ゲーム

セイラーとクネッチが行ったゲームをご紹介します。

第一段階

A教室の学生を集め、二人一組のグループを作り、一人は配分者、もう一人は受益者となる。配分者に20ドルを渡したうえで、受益者に2ドル渡すか、10ドルずつ分け合うかを決める。

 

第二段階

B教室の学生に、受益者に2ドル渡した配分者と半分渡した配分者とお金を分け合うなら、どちらを選ぶか決めてもらう。

A:2ドル渡した配分者と12ドルを半分ずつ分け合う

B:10ドル渡した配分者と10ドルを半分ずつ分け合う

 

第一段階では、4分の3に近い学生が半分ずつ分け合うことを選び、

第二段階では、81%が「公正」に10ドルずつ分け合った配分者と10ドルずつ分け合うことを選びました。

 

このことから、人は、不公正な申し出を嫌い、たとえ自身の利得が減少しても、そうした申し出をした人には、金銭的な損害を与え、罰を下そうとすることが分かります。

 

4.自制心の欠如 —異時点間選択—

夏休みの宿題・貯金・ダイエットなど計画的に行える人と、そうでない人がいます。

これらはすべて、「今」(或いは近い未来)と「未来」(或いは遠い未来)の間の選択問題だと言えます。経済学では、このような時間を超えた選択を「異時点間選択」と呼びます。

 

「異時点間選択」を考える場合、伝統的経済学では、割引率を一定と仮定しています。

 

それでは、異時点間選択と割引率を考える有名なアンケートをご紹介します。

Keren & Roelofsma 1995

 

1.どちらかを選んでください。

(A)26週後に100ドルもらう

(B)30週後に110ドルもらう⇒63%が選択

 

2.どちらかを選んでください

(C)今日中に100ドルもらう⇒82%が選択   

(D)4週間後に110ドルもらう 

 

ABは26週間たてば、CとDになることが分かれば、BかつCという選択には一貫性がないことが分かります。

 

Cを選ぶことは、当初、Bを選択していたにもかかわらず、26週後には、Aを選択することになります。

このように、時間の経過により判断に矛盾が生じることを「時間非整合」と言います。

 

また、「現在」と「将来」の違いはすごく気になるが、「近い将来」と「遠い将来」の違いはあまり気にならないことを「現在バイアス」と呼びます。

 

セイラーは、将来の価値を現在の価値に割り戻す割引率について、実験を通して測定し、以下の特徴を示しました。

 

①割引率は期間が長くなるにつれて著しく低下する

②割引率は報酬額の大きさに従って低下する

③利得に対する割引率は損失に対するそれよりもはるかに高い

 

5.ナッジ理論

「ナッジ(Nudge)」とは元々、「ひじで軽く小突く」「そっと押して動かす」という意味の英語です。行動経済学では「そっと後押しして、強制することなく、自発的に望ましい行動を選択するように促す」ことを指すようになりました。セイラーが、行動経済学を実社会で役立てる一つの方策を示した「ナッジ理論」は、現在では「ヒューリスティック」「プロスペクト理論」と並ぶ、行動経済学の大きな柱の一つになっています。

 

先ほどの現在バイアスを逆手にとって行われたセイラ―の「Save More Tomorrowプログラム」をご紹介します。

 

セイラーは、貯蓄ができない人に、「将来賃金が上がったら、給与からの自動引き落としなどで上がった分のいくらかを貯蓄に回す」とあらかじめ決めさせました。

 

すると、貯蓄ができない人は、今が大事である反面、特に将来のことはあまり考えません。

 

したがって、「賃金が上がったら貯蓄してもいい」と約束します。

 

すると、数年先に実際に賃金が上がりますが、今度は一旦決めたことを「変える」のが面倒なのでその約束を守ることになります。

 

結果的には、貯蓄率が3.5%~13.6%上がったそうです。

 

貯蓄に補助金を与えるわけでも、税法上の優遇措置をとったわけでもなく、ただ、意思決定のタイミングを少し工夫することにより、行動変容を起こすことが出来たのです。

 

イギリスや、アメリカなどをはじめ、全世界的にナッジの考え方が政策現場に浸透しつつあります。

 

6.まとめ

行動経済学は、私たち人間がたびたび起こす非合理的な行動に着目し、これまでの経済学の理論では説明できなかった現象について、人間行動の観察によって得られた知見をもとに新しいモデルで説明を試みています。

 

行動経済学の一番の魅力は、それを学ぶことによって、私たち人間が、愚かな選択をしてしまうことを改めて知り、生活を改善するヒントが得られ、また、仕事に応用できることです。

 

これからの経済学を引っ張っていく分野として注目されているので、ぜひこの機会に関連書籍にあたってみるなどして、知識を深めていただけたらと思います。

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SMBCコンサルティング株式会社 ソリューション開発部 教育事業グループ

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