プロスペクト理論とフレーミング効果―行動経済学とは?(第二回)
●行動経済学の基本的概念 ホモエコノミクス=合理的経済人と限定合理性
●速い思考と遅い思考
●ヒューリスティックスとバイアス
行動経済学が脚光を浴びた契機は、2002年に心理学者であるダニエル・カーネマンが、「心理学的研究から経済学、特に人間の判断と不確実性の下での意思決定に関する洞察を統合した」として、ノーベル経済学賞を受賞したことによります。
カーネマンは、共同研究者であるエイモス・トヴェルスキーとともに行った研究で多くの業績を残しており、両名が行動経済学の祖とされていますが、トヴェルスキーは、受賞前に亡くなっています。
それではカーネマンとトヴェルスキーの提唱した理論の中で代表的な、プロスペクト理論をご説明する前に、そのベースとなる、期待効用仮説について見ていきましょう。
プロスペクト理論は、期待効用仮説では説明できないアノマリー(例外・矛盾)を克服する理論として作成されていますので、まず期待効用仮説を理解することが必要です。
1.期待効用仮説
伝統的経済学では、選択の結果得られる利益もしくは被る損害および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするかを説明するモデルとして、期待効用仮説が重要な考え方とされています。
※事例の多くは、ダニエル・カーネマン著 ファスト&スローから引用しています。
(1)期待効用仮説とは
期待効用仮説とは、個々の選択肢の期待効用(効用×成功確率)を計算し、期待効用が最大になる選択肢を選ぶ意思決定の方法を言います。
「効用」とは物事に対する個人的な望ましさ(価値)のことです。
リスクを伴う選択を議論する場合、ギャンブルを例に検討することがよくあります。
一般的に、ギャンブルは期待値で評価されるものと考えられています。期待値は、結果×確率で計算できます。
皆さんも、数学の確率の授業で学んだことを少し思い出して次の問題を考えてください。
次の2つのクジのどちらを選択すべきでしょうか?
クジ1:60%の確率で100円もらえる、40%の確率で何ももらえないというクジ
クジ2:70%の確率で90円もらえる、30%の確率で何ももらえないというクジ
2つのクジの期待値は次のようになります。
クジ1の期待値=0.6×100円+0.4×0円=60円
クジ2の期待値=0.7×90円+0.3×0円=63円
この場合、期待値の大きいクジ2を選択すべきであることが分かります。
それでは、次の例では皆さんはどちらを選びますか。
選択①
次のAとBのいずれかを選択できるものとします。どちらを選択しますか?
A:確実に1,000ドルもらえる
B:10%の確率で2,500ドル、89%の確率で1,000ドル、1%の確率で何ももらえない
期待値はA(1,000)<B(1,140)
多くの方は、期待値の大きいBではなく、Aを選んだはずです。
期待効用仮説では、選択①の現象を次のように説明します。若干、不正確な説明ですが、ご容赦を頂けたらと思います。
10ドル持っている人が、さらに10ドルもらう場合と、100ドル持っている人が、さらに10ドルもらう場合では、効用(満足度)減少します。このことを、効用逓減の法則と言い、選択①の獲得できる金額と効用の関係をグラフで表すと以下のような効用関数のグラフとなります。
それでは計算をしてみましょう。
期待効用理論では、個々の選択肢の期待効用(効用×確率)を計算し、期待効用が最大になる選択肢を選ぶ意思決定ですから、
Aの期待効用=100%×100=100
Bの期待効用=10%×108+89%×100+11%×0=99.8
期待効用はA(100)>B(99.8) となり、Aを選択するということになります。
発展問題 確実性等価
少し、難しいと思いますので、読み飛ばしていただいても結構です。
一般的に、確実に得られうる値は、不確実な変数の期待値より小さくても良いと評価されます。この確実に得られうる値を確実性等価と言います。
確実性等価を定義すると、以下のようになります。
「不確実性を伴う投資の期待効用=確実な投資からの効用」を満たす確実な資産額
ある投資家の効用関数が 効用(U)=√w(所得)と表せるとします。
この投資家が、確率50%で100の、確率50%で400の所得を得るという投資案件がある場合、確実性等価はいくらとなるか計算してみましょう。
ⅰ)投資案件の期待値は 50%×100+50%×400=250
ⅱ)投資案件の期待効用は50%×√100 +50%×√400=50%×10+50%×20=15
ⅲ)確実性等価は、ⅱ)で求められた期待効用を、効用関数に導入することで求めることが出来ます
U=15=√w ⇒ Wは15の2乗=225となります。
つまり、この投資案件の確実性等価は225ですから、225より大きい所得が確実に得られるのであれば、そちらを選択すべきと考えられます。
又、確実な所得を得ることを選択した場合、期待値―確実性等価=250-225=25を、この投資家が、確実な所得を得るために、25のリスク・プレミアム(割増金)を支払っていると言います。
(2)期待効用仮説の問題点
次の例では、皆さんはそれぞれどちらを選びますか?
選択②
あなたは現在の富に上乗せして1,000ドルもらったうえで、次のどちらかを選ぶように言われました。
A:50%の確率で1,000ドルもらう
B:確実に500ドルもらう
選択③
あなたは現在の富に上乗せして2,000ドルもらったうえで、次のどちらかを選ぶように言われました。
C:50%の確率で1,000ドル失う
D:確実に500ドル失う
多数の人が、以下のような反応を示します。
選択②では、利得の確実なBを選ぶ
選択③では、ギャンブルを行いCを選ぶ
このことから、カーネマンとトヴェルスキーは、期待効用仮説に関して、4つの問題点を指摘しています。
ⅰ)最終的な富の状態が同じであっても、人々は異なる選択をする。
選択②でも選択③でも、最終的な富は、確実を選べば、1,500ドルになりますし、ギャンブルを選べば、1,000ドルまたは2,000ドルになります。期待効用仮説では、最終的な富を基準に選択を行うと考えられますので、選択②でも選択③でも、ギャンブルか確実性か同じ選択を行うはずですが、異なる選択を行っています。
ⅱ)全財産を基準に効用を考えているわけではない。
選択②では1,000ドル、選択③では、2,000ドルもらっていますが、皆さんは選択の際にそのことを考慮しなかったのではないでしょうか。このから、全財産に対するリスク・効用を常に把握しているわけではないことが分かります。
ⅲ)リスク回避を説明できても、リスク選好(ギャンブルを選ぶ)を説明できない。
期待効用仮説で、効用逓減の法則によりリスク回避の行動をとることとなりますが、損失については逆の判断であるリスク選好を行っています。期待効用仮説では、このようなリスク選好の行動を説明できません。
ⅳ)参照点に対する利得か損失かで、同一金額に対する効用が変わることを説明できない。
選択②では1,000ドル、選択③では、2,000ドルが参照点(利得と損失を判断する起点)となり、選択②では利得と考え、選択③では損失と考えています。
確実な500ドルの利得と損失は、期待効用仮説では、効用の絶対値は同じとなります。
しかし、多くの人は、「損失より利得を好む」「勝つこと以上に負けることを嫌う」ため、異なる選択を行うのです。
このことは、利得と損失では同じ金額に対する効用が異なることを示していますが、期待有効仮説では説明できません。
それでは、期待効用仮説では説明できないアノマリー(例外・矛盾)を克服する理論として作成された、プロスペクト理論を見ていきましょう。
2.プロスペクト理論
プロスペクト理論における意思決定基準は、価値関数と決定加重から成り立っています。
価値関数は期待効用仮説の効用関数に対応し、決定加重(重みづけられた確率)を掛け合わせることで、意思決定を行うと考えられています。
(1)価値関数
プロスペクト理論では、期待効用仮説の効用関数に代わる価値関数を提言しています。
価値観数のグラフをお示しして、特徴をご説明します。
①参照点
評価は中立の参照点に対して行われる。金銭的結果の場合には、通常は現状すなわち手持ちの財産ですが、期待する結果や、自分に権利があると感じる結果が参照点となることもあります。
例えば、ボーナスであれば、昨年の実績や同僚の受け取った額が参照点となります。参照点を上回る結果が利得となり、下回る結果は損失となります。
②感応度逓減性
金額の心理的価値は、金額が大きくなるほど逓減していきます。これは、純粋な金額だけでなく変化に対しても当てはまります。
③損失回避性
損失と利得を直接比較した場合でも、確率で重みをつけた場合でも、損失は利得より重く感じられます。実験の結果、利得1に対して、損失は1.5~2.5倍重く感じられることが分かっています。
先ほどの、期待効用仮説の問題点をプロスペクト理論がどう解決しているか見てみましょう。
ⅰ)最終的な富の状態が同じであっても、人々は異なる選択をする。
ⅱ)全財産を基準に効用を考えているわけではない。
⇒プロスペクト理論では、全財産ではなく参照点を中心に、利得と損失で選択を行うとしていることから、一貫性のある選択を行っているという説明が可能です。
ⅲ)リスク回避を説明できても、リスク選好(ギャンブルを選ぶ)を説明できない。
ⅳ)参照点に対する利得か損失かで、選択(確定かギャンブルか)が変わることを説明できない。
⇒プロスペクト理論では、感応度逓減性によって、500ドル確実に失う苦痛は、1,000ドルを50%の確率で失う苦痛より大きくなりますので、ギャンブルを選択することが説明できます。
(2)決定加重
決定加重とは、意思決定に際して人々が結果に割り当てる重みです。
確率に近い考え方ですが、実際にはほとんど起こりそうもない不相応な重みをつける「可能性の効果」とほぼ確実な結果に対しては、確率に見合う重みをつけない「確実性の効果」が反映されています。
具体的な例でお話ししますと、宝くじは、当たる確率は非常に低いですが、当たるかもしれないという「可能性の効果」により、購入する人がたくさんいます。
又、死亡する確率は0%だと言われる場合と、死亡率は2%だと言われる場合では「確実性の効果」により、感じられる不安はまったく異なることになります。
カーネマンとトヴェルスキーが、掛け金の小さいギャンブルを使って、計測した決定加重は、
以下のようなグラフに表されます。
特徴としては、以下の3点が挙げられます。
ⅰ)決定加重は非線形(原点を通る直線ではない)であり、客観的確率が0または100%に近いところでは、「可能性の効果」と「確実性の効果」が大きく現れ、主観的確率と客観的確率の差が大きい。
ⅱ)客観的確率が約40%までは、過大評価し、それ以上では過小評価する。
ⅲ)低確率では凹関数、高確率では凸関数。
プロスペクト理論は、非合理性の中に法則性を見出し、モデルでうまく説明していることがお分かりいただけたと思います。
3.フレーミング効果
カーネマンとトヴェルスキーは、ある不確実な事象について判断や決定を行う際に、異なる枠組みで問題設定をした結果、異なる結論が得られる現象のことをフレーミングと名付けました。
例えば、「コップの飲み物が半分しかない」「コップの飲み物が半分も残っている」では、この二つの文章の意味は、同じではありません。
これは、同じ事柄でも伝え方や表現方法を変えるだけで、捉え方や与える印象も変わり、
相手の捉え方や与える印象を変えることにより、意思決定に影響を及ぼすことのできることを示しています。
カーネマンとトヴェルスキーは以下の「アジア病問題」の実験によって、人々がフレーミングに影響される傾向にあることを示しました。
学生を2つのグループに分け、「アジア病の流行により600人が死亡すると予想されている」と、提示します。
グループ1には
・プログラムAを採用した場合200人助かる。
・プログラムBを採用すれば1/3の確率で600人が助かるが、2/3の確率で誰も助からない。
あなたはどちらのプログラムを採用すべきだと思いますか?に答えてもらう。
グループ2には、
・プログラムCを採用した場合400人が亡くなる。
・プログラムDを採用すれば1/3の確率で誰も死なないが、2/3の確率で600人全員が亡くなる。
あなたはどちらのプログラムを採用すべきだと思いますか?に答えてもらう。
結果は
1つ目のグループではプログラムAを選んだ学生が72%。
もう一方のグループはプログラムDを選んだ学生が78%でした。
一つ目のグループは、「病気の感染者が助かる」枠組み(フレーム)で問題が記述されており、もう一方のグループは、「病気の感染者が死亡する」枠組みで問題が記述されています。
利得(助かる)に焦点がおかれると確実を求め、損失(亡くなる)に焦点が置かれると一か八かに賭けたいという傾向があると解釈することが出来ます。
フレーミングは、我々の日常生活の至るところに存在しています。
ⅰ)分割払いの表記
A:1日コーヒー1杯100円!自動販売機より安価でおいしい!
B:1年間のお支払い36,500円で一日1杯おいしいコーヒーを我が家で!
どちらも支払う金額は同じですが、圧倒的にAの表現に惹かれる人のほうが多いと言えます。
これは、結果的に支払う金額は同じであっても、1日〇〇円、月々〇〇円のみ、と表現することで金額の大小の比較にフレーミングされ、消費者の支払に対する精神的負担が軽減されるAを好意的に感じてしまいます。
ⅱ)おとり商品
フレーミング効果は必ずしも2つの選択肢から1つを選ぶ方法だけではありません。
売りたい商品とは別に「おとり商品」を用意し、3つの提案をすることによって、お得感を演出する方法です。
A:テキスト教材のみ5,000円
B:CD/電子機器教材のみ12,000円
C:テキスト教材とCD/電子機器教材のセット12,000円
AとCだけの選択肢を提案するより、おとり商品として、Bも提案することで、同じ料金のBとCの比較のフレームに注目させられ、Cを選択してしまいがちです。
4.まとめ
今回の記事では、カーネマンとトヴェルスキーの重要な業績である、プロスペクト理論とフレーミング効果について説明しました。
プロスペクト理論は、金銭的な問題だけでなく、例えば、
●プロゴルファーは、パットの難易度やカップからの距離に無関係に、パー狙いのパッティングの方が、バーディー狙いよりも成功率が高い
●個人投資家は、益が出ている株は売り急ぎ、損が出ている株は売り遅れる
など、様々な事象をプロスペクト理論で説明することが出来ます。
又、フレーミング効果は、日常のいたるところに見られるといっても過言ではありません。
カーネマンとトヴェルスキーの業績は、伝統的経済学がアノマリー(例外・矛盾)として無視してきた事象を包括して上手く説明する新たなモデルを提示するだけでなく、私たちの世界観にまで影響を及ぼすものであると言えます。
次回は、2017年のノーベル経済学賞受賞者である、米シカゴ大のリチャード・セイラ―教授の業績を中心にお話をさせていただきたいと思います。
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