IPOにおける労務管理の重要ポイント ②割増賃金の支払い

はじめに
 前回のコラムでは労務管理の基本となる「労働時間の把握」について解説しました。今回は「割増賃金の支払い」をテーマにIPOに向けて求められる対応について解説します。割増賃金を適切に計算し全額支払うことは、IPOを目指すかどうかに関わらずコンプライアンス上の必須事項です。支払っていない場合は、労働基準法第24条違反となり、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金という重い処罰が科されます。しかしながら、割増賃金が適正に支払われていない企業が非常に多いというのが実態です。そして、多くの場合は、意図せずに割増賃金に不足が生じています。その原因と対策について解説していきます。


1. 割増賃金が適切に支払われない原因

 原因としては、以下の2つが大きな割合を占めていると考えられます。


労働時間に把握漏れがある

割増賃金の基礎となる1時間あたりの賃金額が間違っている


 ①については前回のコラムでお伝えしましたが、そもそも労働時間を正しく把握できていなければ、正しく割増賃金を計算することができません。ですので、労働時間を正しくに把握することは、割増賃金を適切に支払うための絶対必要条件となります。ただし、労働時間を正しく把握できていたとしても、②の問題があると、やはり割増賃金が適切に支払われないという事態を招きます。そして、IPO準備企業には、②の問題が生じているケースが非常に多く見受けられます。なお、②の問題が生じている企業は、ほとんど法令に則り正しい計算ができているという認識をしています。では、なぜこのようなギャップが生まれるのでしょうか。その原因は「1時間あたりの賃金額」の計算方法を正しく理解できていないことにあります。


2. 割増賃金の基礎となる1時間あたりの賃金額の計算方法

 1時間あたりの賃金額の計算方法は労働基準法施行規則19条に定められており、月給者(日給月給含む)の1時間あたりの賃金額は以下の計算式で算出することとされております。


1時間あたりの賃金額 = 月給 ÷ 1か月の平均所定労働時間数


この計算式を知らない人事労務の関係者はいないと思います。また、計算式として非常にシンプルなので間違いようがないと思われるかもしれません。しかし、「月給」と「1か月の平均所定労働時間数」のそれぞれに要件が定められており、その要件を正しく理解をしていないと間違った計算をしてしまうことになります。つまり、計算式の間違いではなく、計算式に当てはめる要素の間違いが原因なのです。では、「月給」と「1か月の平均所定労働時間数」にはどのような要件があり、どのような点に注意が必要なのか紹介していきます。


3. 「月給」の要件と注意点

 1時間あたりの賃金額は「月給」から算出しますが、「月給」に含まれる賃金の範囲は法律で定められています。正確には、「割増賃金の基礎となる賃金には算入しない」ものとして、以下a~gが定められています。そのため、a~gに該当しない賃金は「月給」に含めなければならないのですが、その際に注意すべき点があります。


a. 家族手当

b. 通勤手当

c. 別居手当

d. 子女教育手当

e. 住宅手当

f. 臨時に支払われた賃金

g. 1か月を超える期間ごとに支払われる賃金


【注意点①】名称ではなく支給内容が一致していること

a~eは具体的な手当の名称が示されており、同名の手当を支給している企業は多いと考えられます。しかし、同じ名称の手当であれば「月給」に含めなくてよいというわけではありません。a~eは労働と直接的な関係が薄く、個別事情に基づいて支給される性質の手当であるため割増賃金の基礎となる「月給」に含めなくてよいとされています。そのため、個人事情を考慮して支給されていない場合は対象となりません。


<よくある「月給」に含めるべき手当>

「家族手当」を家族の人数や扶養の有無に関わらず固定の支給額になっている支給している

「通勤手当」が通勤距離や実費に応じた支給額になっておらず、固定の支給額になっている

「住宅手当」が実際の家賃額やローン月額に連動した支給額になっていないなっておらず、固定の支給額になっている


 実務の煩わしさから上記の対応をしている企業は多いですが、その場合は「月給」に含めなければならないので注意が必要です。なお、a、b、eは厚生労働省から発行されているリーフレットに例示がされています(https://jsite.mhlw.go.jp/tottori-roudoukyoku/library/tottori-roudoukyoku/pdf/26kajyu_4.pdf)。


【注意点②】「臨時」は稀なケースであること

fの「臨時に支払われる賃金」の認識にも注意が必要です。「臨時」というのは感覚的なため、明確に線引きができません。法令上の解釈として、支給することが稀であったり、不確定であったりするものとされていますが、非常に曖昧です。実際には、支給される条件や発生頻度により「臨時」に該当するかが判断されることになりますが、通常の業務遂行上で発生する手当は該当しないと考えられます。


<臨時に該当しない手当の例>

冬季のみに支給する手当(燃料手当、寒冷地手当等)

年末年始等の長期休日に勤務した際に支給する手当(年末年始手当、特別勤務手当等)

勤務時間外に緊急時対応をした際に支給する手当(緊急対応手当等)

 

4. 「1か月の平均所定労働時間数」の要件と注意点


1時間あたりの賃金額を算出する際の「1か月の平均所定労働時間数」は、以下の計算式で算出すると定められています。素直に計算式に当てはめて算出すれば間違えることはありませんが、細かい点で注意が必要になります。


1か月の平均所定労働時間数=(年間暦日数-年間休日数)×1日の所定労働時間数÷12か月


 ポイントは「年間休日数」と「端数処理」です。「年間休日数」は年により変動する場合があるので特に注意が必要です。「1か月の平均所定労働時間数」の計算を間違えると、「1時間あたりの賃金額」が法定の金額を下回る可能性があり、その場合は未払い賃金が発生することになります。そうならないためには、以下の点に注意し、正しく算出することが求められます。


<算出上の注意点>

年間休日数を固定している場合は閏年と通常の年で算出する

年間休日数が毎年変動する場合は毎年算出する

端数処理をする場合は切り捨てる(切り上げると1時間あたりの賃金額が下がるため)


<法令違反の危険性の高い運用>

1か月の平均所定労働時間数がいつどうやって算出されたものか把握しないまま使用している

年により1か月の平均所定労働時間数が変動するため過去の平均を使用している

職種や事業場により1日の所定労働時間数が異なるが同じ計算をしている

1日の所定労働時間を短縮したが1か月の平均所定労働時間数はそのまま使用している


5. 最後に

 1時間あたりの賃金額は、計算式がシンプルなのですが、間違いを引き起こす要素が非常に多いという実態があります。そのため、IPO準備企業に労務DDを実施した場合、ほぼ全ての企業で法令違反が見つかります。細かすぎると感じた方もいるかもしれませんが、1円であっても未払い賃金があれば労働基準法違反ですので、法令順守のためには要件を正しく理解し適切な対応をすることが求められます。


IPOを目指すのであれば、割増賃金の適格な計算は非常に重要なポイントの一つとなります。

多田国際社労士法人では、IPOを目指す企業様の導入支援を行っております。ぜひお気軽にご相談ください。







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多田国際コンサルティンググループ

多田国際コンサルティンググループは、多田国際コンサルティング株式会社と多田国際社会保険労務士法人で構成しております。多田国際コンサルティング株式会社では、労務分野の豊富な知見をベースとした、専門性の高い人材・組織系のコンサルティングサービスにより、人事制度、人材育成、労務管理等はもちろん、 IPO、M&A、海外進出といった企業を取り巻く様々な課題の解決を通して、企業価値向上をサポートして参ります。https://www.tk-sr.jp/

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