IPOにおける労務管理の重要ポイント ①労働時間の把握

はじめに
 IPOとはInitial Public Offeringの略で、企業が自社の株式を証券取引所に上場することを指します。そしてIPOのためには証券取引所の審査を受けなければならず、審査においては、上場企業にふさわしい経営管理が行われているかを様々な視点から確認されます。
その中でもコンプライアンス(法令遵守)は特に重要なテーマとして位置付けられており、近年では労務管理におけるコンプライアンスの注目度が高まっています。その背景には、働き方改革や人的資本経営が話題になり、労働環境や労働時間に対する社会的関心が向上したことがあると考えられます。
そういった状況をふまえまして、このコラムではIPOにおいて求められる労務管理の重要ポイントを紹介していきます。それはつまり労務管理上のコンプライアンスを厳格に行うことに繋がりますので、IPOを目指すかどうかに関わらず、労務管理方法の点検に活用いただければと思います。初回は労務管理の基本となる「労働時間の把握」について解説します。


1. 労働時間の把握は使用者の義務

 「労働時間の把握」が労務管理において重要であることは、人事に携わる方は当然のことと認識されていると思いますが、コンプライアンスとしての重要性を説明できるでしょうか。というのも、労働時間を把握すること自体について、労働基準法等には規定されていません。しかし、労働基準法には、労働時間(第32条)、時間外及び休日の労働(第36条)、時間外、休日及び深夜の割増賃金(第37条)に関する定めがあり、その内容を遵守するためには労働時間を適切に把握することが必要となります。

 つまり、労働時間を適切に把握することは使用者の義務ということです。このことは、厚生労働省が2017年1月20日に策定した「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン(以下、ガイドライン)」に記載されています。

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000149439.pdf

 また、ガイドラインには労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置について定められています。IPOにおいては、このガイドラインの定めに則り労働時間の把握が行われていることが前提となります。


2. 労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置

 ガイドラインにおいて、労働時間の把握のためにどのような措置が求められているのかご紹介します。ガイドラインでは労働時間を適正に把握するための「原則的な方法」について、「現認」か「客観的な記録による確認」のいずれかと定められています。

 「現認」というのは、管理監督者等がその場で確認することです。確かに確実で疑いのない方法ですが、働く場所や時間が多様化している現代のビジネスにおいて、現認により労働時間を把握するのは非常に困難です。そのため、実施できる企業は限定的と考えられます。

 「客観的な記録による確認」というのは恣意性が入らない記録方法による確認です。例としてタイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録が挙げられていますが、どれも動作に応じて時刻情報が記録され、その場に居合わせなくても確認できるという点が特徴となります。「現認」に比べ柔軟性と汎用性があるため、多くの企業で採用できる方法です。最近ではスマートフォン等の携帯端末から記録できる仕組みもあり、「客観的な記録」による把握ができないと言える余地はなくなってきていると感じます。

 以上が原則的な把握方法ですが、ガイドラインでは、やむを得ない場合として「自己申告制」を認めています。しかし、自己申告は本人次第であるため、間違いや虚偽が生じる可能性があります。そのため、適正さを担保するための条件として、「入退場記録やパソコンの使用時間等から把握した在社時間と著しい乖離がある場合に実態調査をすること」を定めています。しかし、乖離の確認も実態調査も時間と労力を要しますので、現実的に対応するのは難しいと考えられます。


■ガイドラインを事業主に告知するためのリーフレット(抜粋)



https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000187488.pdf



3. IPOで求められる労働時間の適正な把握

 ガイドラインに基づくと「客観的な記録による確認」をすれば、労働時間の適正な把握はできていることになります。しかし、客観的な記録方法の中でも業務との密接度という観点では差があります。パソコンの使用時間は業務との密接度が高いですが、タイムカードやICカードの記録は高いとは言えません。そのため、最近のIPOの現場においては、パソコンの使用時間で労働時間の確認をすることを証券会社から求められるケースが散見されます。それくらい労働時間の把握について注意が向けられています。

 なぜ労働時間の把握にそこまで注目されるかというと、労働時間の適切な把握ができていないと以下の法令違反のリスクが高まるためです。これらの違反には労働基準法で罰則が設けられておりますので、コンプライアンスにおける重要度が高く、IPO審査においては遵守できていることが必須の事項となります。特に①に関しては、3年分遡及して支払う必要があり、その金額が簿外債務となりますので、IPO審査におけるインパクトは非常に大きいと言えます。


未払賃金の発生

時間外労働・休日労働に関する協定(36協定)の違反

労働基準法に定められた上限を超える長時間労働


 法令違反するつもりがなくても、把握している労働時間が実際の労働時間より少なかった場合は、意図せず法令違反を犯してしまう可能性があります。IPO準備企業への労務デューデリジェンスでは、労働時間の把握に対する指摘は必ず出てきます。最近の指摘でよくみられるのが業務時間外でのチャットでのやり取りです。私的なコミュニケーションで利用する場合もありますが、業務上連絡や確認を行った場合は労働時間として取り扱う必要があります。労働時間を適正に把握するためにはそういったところまで管理することが求められます。


 IPOを目指すのであれば、「労働時間の適正な把握」は避けて通れない労務課題ですので、自社の実態を把握したうえでどのような方法で把握をするのが適切なのかご検討ください。




プロフィール

多田国際コンサルティンググループ

多田国際コンサルティンググループは、多田国際コンサルティング株式会社と多田国際社会保険労務士法人で構成しております。多田国際コンサルティング株式会社では、労務分野の豊富な知見をベースとした、専門性の高い人材・組織系のコンサルティングサービスにより、人事制度、人材育成、労務管理等はもちろん、 IPO、M&A、海外進出といった企業を取り巻く様々な課題の解決を通して、企業価値向上をサポートして参ります。https://www.tk-sr.jp/

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