マネプラ・オピニオン 大戦略の時代を生き抜く
英国の宰相チャーチルは、日本の機動部隊が真珠湾を奇襲したとの急報に接し「我ら勝てり」と快哉を叫んだという。米国の参戦によって17カ月に及んだヒトラーとの孤独な戦いから救われたと確信したのだろう。米国を枢軸側との戦いに引き入れることに優る大戦略なし──チャーチルはそう考え、この一点を凝視して渾身の布石を打ったのだった。
翻って戦後の日本は、米国の傘のもとに身を寄せ、もてる力のすべてを経済に注いで一時は世界第二の経済大国となった。だが、当の米国は今、ウクライナの戦いに膨大な資金と武器を供与し、台湾危機に備える力を殺(そ)がれ、海峡のうねりは刻々と高まっている。米国は欧州とアジアの二つの戦略正面に引き裂かれて苦境に立たされつつある。
先の日米首脳会談でバイデン大統領は「我々の軍事同盟は現代化された」と述べた。その真意は、東アジアに生じた力の空白を同盟国ニッポンに埋めてほしいというのだろう。これに応えて岸田政権は、力の攻勢を強める中国を念頭に、国産の誘導ミサイルを改良して射程を延ばし、新たに反撃能力を保有すると米側に伝えた。だが、防衛費増額と装備の充実だけでは、戦術的対応の域を出ず、真の戦略の名には値しない。
一方の中国とロシアは、米国の動きを牽制すべく着々と策を練っている。習近平主席は去年9月、サマルカンドでプーチン大統領と会談し「互いの核心的利益を強く支え合っていきたい」ともちかけた。プーチン大統領も「一つの中国の原則を厳守する」と応じて相手の心を鷲掴(づか)みにした。台湾危機とウクライナの戦いで連携する「サマルカンド合意」がうっすらと姿を見せ始めたのである。今の日本の政治指導部には、中ロ連携に対抗するグランド・ストラテジーは見当たらない。平和な環境で小さな国益を追い求める時代は遠景に去った。苛烈な状況に身を置いている──その自覚こそがチャーチルの如き大戦略を生み出すと心得るべきだろう。
プロフィール
外交ジャーナリスト 作家 手嶋龍一
NHK政治部記者を経て、1987年からワシントン特派員としてホワイトハウス・国防総省を担当し、東西冷戦の終焉に立ち会う。湾岸戦争では最前線で従軍取材。ドイツ支局長を経て、ワシントン支局長を8年間にわたって務める。この間、9.11同時多発テロ事件に遭遇し、11日間の昼夜連続の中継放送を担った。2005年にNHKから独立後は、慶應義塾大学教授としてインテリジェンス戦略論を担当。著書に『ウルトラ・ダラー』、『スギハラ・ダラー』、『鳴かずのカッコウ』など多数。