マネプラ・オピニオン 経世済民の江戸時代

本コラム「マネプラ・オピニオン」は、6名の識者の方々に輪番制でご担当頂きます。それぞれがご自身の視点で経営者の方々へのメッセージをまとめた連載コラムです。



「経済」という言葉の語源が「経世済民(けいせいさいみん)」であることは、多くの方がご承知と思う。世を治め万民を救済する、という意味だ。「景気」とは、気配、景色、眺望のことである。「経営」は土台を据えて建物を建てることで、工夫して作品をつくることも意味する。いずれもお金とは直接関係がない。これらの言葉、とりわけ「救済」を意味する経済が金銭的な意味合いばかりに使われるようになったことは、日本の近代社会が貨幣価値を基準にして動くようになったからだろう。


無論、経世済民の江戸時代も貨幣経済の時代だった。しかし他方で、学問と思想の時代でもあった。日本は東アジアで最も深く広く仏教が広がった国である。仏教は膨大な漢訳仏典をもつ。僧侶たちはそれを伝える知識人たちだった。そのままであったら、日本は今もなお仏教が支配する国であったろう。しかし江戸時代が状況を変えた。まだ江戸幕府が開かれる前の1593年、徳川家康は藤原惺窩(せいか)から『貞観政要(じょうがんせいよう)』※の講義を受ける。その後、活字技術の最先端であった朝鮮から活字を導入して、次々と儒学の本を印刷刊行した。


その頃は、キリシタンの思想もなだれ込んできた。林羅山が幕府の侍講(じこう)となった頃、不干斎(かんさい)ハビアンという日本人キリスト教徒は、仏教、キリスト教、儒学を同時に視野に入れて論じている。農夫の中江藤樹(とうじゅ)は朱子学だけでなく陽明学も学び、武士とは異なる思想を打ち立てる。鍼医の家に生まれた山崎闇斎(あんさい)は、神道を儒学的に展開した。浪人の家に生まれた熊沢蕃山(ばんざん)があらゆるテーマを考え始めたときには、もう儒学は教養の基礎、つまり時代のリベラルアーツとなっていた。さらに儒学に対抗して「国学」が生まれたのは周知のとおり。江戸時代は多様な思想が行き交う学問・思想の時代であり、「人はどう生きるべきか」を考え議論する基盤があった。


翻って今の日本はどうか。教養は「知識」を意味するだけになり、政治家の仕事は票集めだ。学問と思想と議論が、今こそ必要になっている。


※安定した治世を築いたと言われる、中国唐代の第二代皇帝・李世民(りせいみん)と重臣たちとの間で交わされた問答をもとに編纂された書



◎「SMBCマネジメント+」2022年12月号掲載記事

プロフィール

法政大学 前総長 田中 優子

(たなか・ゆうこ)1980年度より法政大学専任講師。その後、助教授、教授。2012年度より社会学部長。14年度より総長。21年度より名誉教授、江戸東京研究センター特任教授。専門は日本近世文化・アジア比較文化。研究領域は、江戸時代の文学、美術、生活文化。『江戸の想像力』、『江戸百夢』、『カムイ伝講義』、『未来のための江戸学』、『グローバリゼーションの中の江戸』、『布のちから』、『江戸問答』など著書多数。サントリー芸術財団理事。TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターも務める。

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