反怖謙一の「ABC」通信 「理」か、「情」か
「大事は理、小事は情を以て処す」という言葉があります。その意味は、「重要な問題、大事な案件ほど、情にほだされず、惑わされず、筋を通し、道理を重んじ、理屈を曲げてはならない。一方、小さい事ほど理屈にかかわらず、情を効かせ、些事小事であるほど情をもって対応してこそ、周囲の人たちの共感を得ることができる」というものです。
経営者の皆さんは、組織のリーダーとして日々、事の大小にかかわらず判断・決断の連続の中で悩み多き時間を過ごされていることと拝察します。それは時代を超え、古今東西のリーダーに共通するものであり、その判断・決断の決め手となる決定的要素は、結局のところ「理」か「情」かの選択に帰結します。
7年前にNHK大河ドラマで「軍師官兵衛」が放送されましたが、そのハイライトシーンで冒頭の言葉を強く印象付ける名場面がありました。組織リーダーとして「理」か「情」かの苦悩に満ちた判断と決断を迫られるシーンに、思わず見入った次第です。
その場面とは、播磨の国を治めていた父・黒田職(もと)隆(たか)から家督を継いだ官兵衛の下へ織田信長の大軍勢が迫る中、毛利か織田かの旗幟鮮明を強いられた官兵衛がいかなる判断・決断をするかの大見せ場です。
官兵衛の正室は、志方城主・櫛(くし)橋(はし)伊(これ)定(さだ)の娘、光(てる)姫(ひめ)で、当時、容色麗しく才徳兼備と称される人で、官兵衛は生涯光姫ただ一人を妻として愛し続けました。お家存続のため多産が求められた時代に、一夫一婦制を貫いたのは珍しく、夫婦の絆がいかに強かったかが偲ばれます。
そこに目を付けたのか、真に妹の行く末を案じたのかは不明ですが、官兵衛の下へ光姫の兄が訪ねて来ます。そして官兵衛に対し「我が一族は毛利方に付くと決した。我々と行動を共にしよう。官兵衛、光を泣かせるな! 毛利に付くのじゃ!」と「情」をもって強く説得します。光姫を一筋に愛し大切にしている官兵衛は苦悩します。
その様子を見ていた父・職隆は、官兵衛に対し「官兵衛、お前が決めるのじゃ! すべては生き残るためじゃ!」と「理」を説きます。
当然、お家の大事ですから、冒頭の言葉に照らせば「理」をもって決するのが道理というものです。官兵衛は強い覚悟で苦悩を乗り越え、「理」をもって織田方に付くことを決断します。その判断の正しさは、その後の歴史が証明しているところです。
物事には常に「理」と「情」が表裏一体、まるでお腹と背中の関係的様相で相伴っています。これが「理」(お腹)の問題か、「情」(背中)の問題かの見極めが容易ならば、たとえ苦悩のプロセスはあっても、結論の行き着くところは自明です。
しかしながら、お腹と背中の境目が明確ではないように、どっち付かずの「理」か「情」かの見極めが困難なケースが往々にしてあるものです。組織のリーダーには、これを見極める眼力と感性、さらには勇気と覚悟が求められます。「理」と「情」、まさに組織のリーダーに求められる哲学的課題です。
◎「SMBCマネジメント+」2021年4月号掲載記事
プロフィール
三井住友銀行 人事部研修所 顧問(元・陸上自衛隊 陸将 第1師団長) 反怖 謙一
(たんぷ・けんいち)1979年、陸上自衛隊幹部候補生として入校。東部方面総監部防衛部長、陸上自衛隊研究本部総合研究部長、北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令、陸将 第1師団長等を歴任。2014年に陸上自衛隊退官後、現職。