反怖謙一の「ABC通信」 己の弱さを自覚する
※三井住友銀行 人事部研修所 顧問、反怖謙一氏の連載コラムです。
世の中、皆が決まりごとを守れば、秩序が保たれ、活動は円滑化するのが道理です。
例えば、駐停車禁止の狭い道路で、誰か一人でも身勝手な駐停車をすれば、当然道路は渋滞し、交通はもとより、そこに関わる人たちのさまざまな社会活動が阻害されます。わがままな個人の幸福追求の行為が全体の幸福実現を妨げる、そんな場面を日常生活の諸所で見かける昨今です。
こうした決まりごとを守らない行為は、一体何ゆえなのか、どうしたら決まりごとの順守が果たされるのか。これをひもとく糸口の一つが、かつて公立中学校陸上部監督として同部を全国レベルに押し上げた原田隆史氏の、「人はルールには従わないが、ムードには従う」という箴言(しんげん)です。
ムードとは、その場所やそこにいる人たちが自然につくり出している“ある感じ”、いわゆる「空気」「雰囲気」とも呼ばれる、何ともつかみどころのないものです。
その使い分けですが、「雰囲気」は人や場所などが発散する独特の“ある感じ”を指し、「ムード」は特に情緒的なものを指し、「空気」はその場所にいる人々を支配している気分を指すことが多いでしょう。いずれにせよ、そうしたつかみどころのない茫洋としたものにもかかわらず、私たち人間におよぼす影響は、実に大きなものがあります。
私たちは、常にこうしたつかみどころがなく、明確にできないものの働きかけに強い影響を受け、心を開いたり閉じたりしながら、方向づけられて生きているのです。
その証しの一つが「割れ窓理論」です。1枚の割られた窓ガラスをそのままにしていると、さらに割られる窓ガラスが増え、いずれは街全体が荒廃してしまうという、米国の犯罪学者ジョージ・ケリング博士が提唱した理論です。
誰か一人が決まりを破って駐停車した途端、我も我もと駐停車する車が出現して、道路が大渋滞となる様相も同様です。赤信号で大勢が待っていても、誰か一人が渡り始めると、まるで同調するかのようにほかの人たちも渡り始める、まさにこれです。決まりを破ることはいけないことだと誰もが知りながら、なぜ安易に付和雷同してしまうのか。
昔、大阪のテレビCMで駐車違反をとがめられた女性が「みんなやってるやん!」と叫んでいましたが、これは一人の不心得だけが原因なのではありません。人間は誰もその場の空気から逃れることができないという、その場の雰囲気、空気、ムードが絶大な威力をもって、彼女にそうさせているという一面は否定できません。
問題は、そうしたものに簡単に影響を受けてしまう、人間誰しもがもつ弱さなのかもしれません。しかしながら、この弱さは恥ではありません。むしろ、その弱さを認めないことが恥なのです。
決まりごとの順守のためには、一人ひとりが己の弱さを自覚し、その弱さに徹した上で、わが身を戒め、律することこそが大事なのだと思います。信用第一とする皆さんの企業経営にあたり、これを従業員に理解、自覚させることは、長たる皆さんのまさに腕の見せ所です。
◎イラスト/遠藤宏之
◎「SMBCマネジメント+」2021年11月号掲載記事
プロフィール
三井住友銀行 人事部研修所 顧問(元・陸上自衛隊 陸将 第1師団長) 反怖 謙一
(たんぷ・けんいち)1979年、陸上自衛隊幹部候補生として入校。東部方面総監部防衛部長、陸上自衛隊研究本部総合研究部長、北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令、陸将 第1師団長等を歴任。2014年に陸上自衛隊退官後、現職。