反怖謙一の「ABC」通信 至誠を尽くす

三井住友銀行 人事部研修所 顧問、反怖謙一氏の連載コラムです。「ABC」は、「あたりまえのことを」「ぼんやりせずに」「ちゃんとやる」の略で、日々の気づきや学びを基に、反怖氏が物事の根本や本質について書き綴った文章を毎月お届けします。



吉田松陰は孟子の教えを大切にし、「至誠」を貫いた人です。彼は私塾・松下村塾で久坂玄瑞(くさかげんずい)、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋(やまがたありとも)など、幕末から明治の時代に活躍する人材を育てました。彼の信念である「至誠」が弟子を育て、世の中を変え、今日の日本の礎を築きました。


その彼の言葉で有名なのが「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」です。


これは孟子の一節で、「誠意を尽くして人に接し仕事に取り組めば、その思いが天に届き大きな力となり、周囲の協力を得てどんな難局であろうと乗り越えることができる」という強い信念を感じられる言葉です。


夢は志となり、志から信念が生まれると言われます。信念とは、その人の血と汗と涙と悲しみを通じて得た、かけがえのない智慧、いわばその人の人格そのものです。時代が変わっても吉田松陰という人物の至誠の生き方が人々の心に感動をもたらす所以なのでしょう。


「誠」という字は「言」と「成」からできており、言うを成す、つまり、有言実行、武士に二言はない、嘘、ごまかしがないなど、信頼の源泉となる文字です。そこには本物の厳粛な覚悟と決意が込められており、厳格な掟の下で組織された幕末の新選組の旗印が「誠」だったのも頷けます。


このことは、経営者である皆さんの商売の世界でも同様だと思います。ある経営者の方が、こんな話を聞かせてくれました。


「私が20代の駆け出し経営コンサルタントだった頃に、大阪のとある創業経営者を訪ねたときのことです。応接室で面会しているときに、その経営者に取引先から電話があり、少し激しいやりとりがあった後、『契約書など交わさなくても一度約束したことは絶対に守りますよ』と断言されていました。


そのとき私は、その言葉から『自分という人間が保証するのであり、契約書が保証するのではない』という、その方の強い自信と覚悟を感じました。


裸一貫で田舎を出て、丁稚(でっち)奉公をしながら若くして独立。人間的な信用を頼りに事業を発展させ、年商100億円超、無借金経営、業界で最も高収益の会社をつくられた人物ならではの言葉だと感じました」


また、別の経営者の方はこう語りました。


「一所懸命、一心不乱。創業時の私は、ただただ夢中でした。その中で、とにかく先方が何を望まれているのかを必死で探り、それに懸命にお応えして信頼を積み重ねてきました。


自分の体力、心を尽くせるだけ尽くして、何とか毎日を乗り越えていた私には、もっと上手くやってやろうとか、もっと楽な方法はないか、などと考える余裕はまったくありませんでした。よく“あの手この手”と言いますが、人間には2本しか手はありません。与えられた条件を生かしてやっていくしかないのです。


そうして、至誠を尽くしていけば、必ず見えなかったものが見えてきます。どっちが東か西かもわからないような真っ暗闇の中でも、いつか薄明かりが見えてくるものなのです。これは、私の体験から確信をもって言えます。もし何も見えてこないとしたら、まだ誠意の尽くし方が足りないと考えるべきです」


所詮、この世は人の営みである以上、すべては人格が規定します。交渉ごとに最後に決着を付けるのは人格の力、その奥の手が「至誠」なのでしょう。



◎「SMBCマネジメント+」2021年6月号掲載記事

プロフィール

三井住友銀行 人事部研修所 顧問(元・陸上自衛隊 陸将 第1師団長) 反怖 謙一

(たんぷ・けんいち)1979年、陸上自衛隊幹部候補生として入校。東部方面総監部防衛部長、陸上自衛隊研究本部総合研究部長、北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令、陸将 第1師団長等を歴任。2014年に陸上自衛隊退官後、現職。

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