反怖謙一の「ABC」通信 我を知る者
経営者の皆さんは、一日の仕事を終えられた後、帰宅してご家族との団らんを楽しんでおられることと拝察します。「孤掌(こしょう)鳴らし難(がた)し※1」という言葉がありますが、人間一人の力には、何かと限界がある以上、一方で力強く支えてくれる存在というのは、実にありがたいものです。特に、いつも変わらず心の支え、拠り所となってくれる家族の存在は、何ものにも代えがたく大切な宝物です。
私ごとですが、一人娘が無事嫁ぎ、家内とは結婚40周年の大台を迎えようとしています。ご多分に漏れず今までいろいろありましたが、多くのご家庭同様、家内の支えのおかげで何とか無事に過ごしてこられました。本当に心からの敬意と感謝の誠を捧げるのみです。
中でも生活や仕事のさまざまな場面を通じ、私という存在が家内という他者の目にどう映っているかについて、その良し悪しを問わず客観的な助言をくれたおかげで、私は自分では気づきがたい「自分という人間の姿」を知ることができました。
放っておくと、つい傲慢、慢心、身勝手となりがちな自分、人に甘えて依存しがちな自分、ほめられるとうぬぼれがちな自分。こうした自分の悪しき面をコントロールしつつ、意識して自分の良い面をその場の状況に合わせていけるようなことが、何とかできるようになったのも家内のおかげです。
こうした家庭内のありようは、昔から何ら変わっていないようで、こんな話があります。
天下を取った徳川家康が江戸に幕府を開く際、最も気を配ったのが京都の御所だそうです。江戸にいる家康に代わり、天皇への対応から庶民の裁判まで執り行う京都所司代は、才覚のある役人でなければなりません。白羽の矢が立ったのが板倉四郎左衛門勝重という男でした。
勝重を見込んだ家康は、禄高(ろくだか)を千五百石から一万石に引き上げ、伊賀守の官位を与えてこの大役を任せようとします。しかし、勝重はあまり喜んだふうもなく、こう答えました。
「これは思いがけない大役。私一人ではお答えがしかねます。屋敷に戻りましてある者に相談し、その者の意見をもってお答えいたします。明朝までご猶予ください」※2
それは誰かと家康が尋ねると、勝重は「家内でございます」※2と答えました。その場にいた旗本たちは失笑。その中の一人が「妻に相談しなければ物事を決められぬのか」※2と口をはさむと、勝重は平然と、「さよう、夫婦は一心同体という。我を知る者は家内ですのでな。昔気質の意地や見栄だけで務まるものでもありますまい」※2と言いました。
「さて勝重が屋敷に戻って、奥方にこの子細を語ると、さすがに勝重の奥方、大抜擢に小躍りすることもない。“それは容易ならぬお仕事でございます。私も今晩ゆっくりと考え、明朝にお答え申し上げましょう”と答えた。翌朝、“どうかな”との勝重の問いに、“お受けなさいませ。私も一生懸命お手伝いいたします” “そうか”ということになった。さっそくに家康に報告すると、家康の喜びはひととおりではなかった。かえって慎重で思慮深い勝重への信頼を増した。勝重が見事にその重責を果たしたのは言うまでもない」※2
琴瑟相和(きんしつあいわ)す※3、夫婦は一心同体です。
※1 片方の手のひら(孤掌)だけでは手を打ち鳴らせないことから、人は一人だけで生きることはできないことの例え
※2 『心をほぐすいい話』渡邊祐介、1997年、PHP研究所
※3 「瑟」は古代中国の弦楽器。琴と瑟は常に一緒に演奏されたことから、夫婦仲が睦まじいことの例え
◎「SMBCマネジメント+」2022年5月号掲載記事
プロフィール
三井住友銀行 人事部研修所 顧問(元・陸上自衛隊 陸将 第1師団長) 反怖 謙一
(たんぷ・けんいち)1979年、陸上自衛隊幹部候補生として入校。東部方面総監部防衛部長、陸上自衛隊研究本部総合研究部長、北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令、陸将 第1師団長等を歴任。2014年に陸上自衛隊退官後、現職。