反怖謙一の「ABC」通信 「ぬか床」の視点で組織を見る
薄板金属加工業を営む株式会社最上インクス相談役の鈴木三朗氏が提唱する「ぬか床理論」というものがあります。鈴木氏は次のように語っています。
「私は自分で考案した『ぬか床理論』を唱えています。ぬか床に野菜を入れると発酵して、おいしい漬物に変化します。これを繰り返すとぬか床には新たな成分が溶け込み、漬物はさらに味わい深くなります。ものづくりも、人や技術、そのつながりといった『土壌』が大切です。そこに新しい人や技術を投入すると、新たな革新が起こって地域の力が強まる。そこでしか出せない個性があり、常にかき回して新陳代謝を促さないと傷んでしまうのも、ぬか床と同じだと思うのです」※1
なるほど、組織運営をぬか床と見立てると、運営のヒントがいろいろ得られるような気がします。例えば、組織を構成し、担うのは、“人”です。組織内の活動は、この生身の人と人が言葉を交わし合い、付帯する技術やスキルを駆使しつつ、相互のつながりや相乗効果が原動力となってさまざまなものが生み出されます。それはまるで、ぬか床に入ってきた野菜に反応して微生物が行う栄養素の代謝行為、いわゆる発酵のようなものです。
組織内で働く人たちによる縦横無尽の絡み合いや蠢(うごめ)き合いは、さまざまな影響として複雑な反応を醸成し、組織というぬか床の発酵を進ませる一方、場合によっては腐らせてしまいます。いわば、その営みの実態は、発酵と腐敗がせめぎ合う世界と言えます。
ところで“ぬか”の中には、基本的に酸素を必要としない通性嫌気性の乳酸菌と酸素によって代謝する好気性代謝菌が存在しています。ぬかをかき回すことで、空気に触れていた表面のぬかが底のほうに沈められます。その結果、表面にいた好気性代謝菌は生育が抑制され、乳酸菌が活性化します。毎日ぬかをかき回していないと、乳酸菌が活性化せず、pH(水素イオン指数)が下がらず漬物の味がまずくなると言います。
ところで、ぬか床は3つの局面を経て成長するそうです。情報学研究者のドミニク・チェン氏は、次のように語っています。
「最初の一週間、いわゆる捨て漬けをする時期は、野菜が腐りもしなければ発酵もしない『塩漬け期』、その後二週間ほどは、ぬか漬けと呼ぶには未熟ではあるものの微妙に発酵するピクルスに似た『ピクルス期』、そして、ぬか漬けを始めて30日くらいで、pHが下がって乳酸菌と好気性代謝菌など、その他の発酵菌の両方が活性し、ゆらぎながらバランスをとる『ぬか床期』の3つのフェーズがあると考えたのです」※2
その成長の最大の特徴は、「発酵と腐敗の両方の状態を行ったり来たりしながら独特の風味を獲得していくこと」だそうです。ぬか床の表面が好気性代謝菌によって腐りかけても、それらを毎日かき回して底に押し込めばいいし、それだけでなく、その菌自体の存在が味を良くしてくれる。「発酵と腐敗の境目を出たり入ったりするのが、ぬか床の面白いところ」なのだそうです。
このぬか床の発酵過程を通じて、人や組織を見てみると、多くの気づきが得られます。清潔(清らか)すぎると体内のバランスを崩して病んでしまう。ポジティブ感情ばかりだと精神のバランスを崩す。乳酸菌以外にも細菌類がいることで深みのある味になる。結局は、良いも悪いも、行ったり来たりを繰り返しながら、バランスをとることがポイントのようです。
※1 「日経ビジネス」2021年8月30日号 P.7「ものづくり伝える“ぬか床”、京都に残したい〔鈴木三朗氏〕」より
※2 マルコメ株式会社Webサイト「発酵美食」2019年7月25日付 記事「情報学研究者 ドミニク・チェン ぬか床とコミュニケーションする?発酵と腐敗のせめぎあいが生み出す豊かさ」より。 https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/20190725/11461/
◎「SMBCマネジメント+」2022年4月号掲載記事
プロフィール
三井住友銀行 人事部研修所 顧問(元・陸上自衛隊 陸将 第1師団長) 反怖 謙一
(たんぷ・けんいち)1979年、陸上自衛隊幹部候補生として入校。東部方面総監部防衛部長、陸上自衛隊研究本部総合研究部長、北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令、陸将 第1師団長等を歴任。2014年に陸上自衛隊退官後、現職。