マネプラ・オピニオン 先祖返りの季節

本コラム「マネプラ・オピニオン」は、6名の識者の方々に輪番制でご担当頂きます。それぞれがご自身の視点で経営者の方々へのメッセージをまとめた連載コラムです。



ソ連・東欧の共産体制は、ベルリンの壁とともに大崩落の時を迎えた。その前月の1989年10月16日、私はモスクワの空港に降り立った。暗く寒々とした空港で、入国までに故なく3時間待たされた。タクシーもレストランも容易に手配できない。米国タバコのマルボロやケントが救いであった。強権的超大国の恐ろしさではなく、普通のことができない経済社会が怖かった。


ソ連の計画経済をリードしてきたゴスプラン(ソ連国家計画委員会)では、逆に日本の経済政策を聞かれた。私は答えた。1930年代、日本もソ連の「5カ年計画」に刺激を受け、国家統制経済を試みたが、うまくいかなかった。一部品が届かないだけで、満州の工場が1カ月止まることもあった。戦後日本は自由経済を基本に、国による方向づけを組み合わせた。当時の日本経済の強さ故か、謙虚に聞く姿勢が印象的であった。


モスクワ大学、極東研究所、世界経済国際関係研究所(IMEMO)を訪ね、政治変動につき討論した。脱ソ連・改革派の論客が言い放った。「ロシアはもはや東欧で何が起ころうと関知しない」。東欧への帝国的支配が終わるのは歓迎だが、私には逆の心配もあった。「撤退戦をできるのが本物の司令官だ。算を乱し、後は野となれ山となれではなく、秩序を考える撤退でなければ、大きな悲惨とツケを招くだろう」、そう警告した。


自由民主主義と市場経済の勝利という形で冷戦は終結した。その後の歴史は、「ローマは一日にして成らず」の理(ことわり)をかたっている。民主主義も市場経済も、一日ではできない。担い手と制度を手間暇かけて育てるほかはない。


そのことに業を煮やし、今、先祖返りが顕著である。かつてソ連帝国がチェコやハンガリーに行った力による支配を、今、プーチン大統領はソ連内部にあったウクライナに対して縮小再生産している。いにしえのパワーポリティクスへの回帰しかないとは、痛ましいというほかはない。


隣国、中国が中華帝国秩序へ先祖返りしないことを、合わせて念じたい。



◎「SMBCマネジメント+」2022年4月号掲載記事

プロフィール

兵庫県立大学 理事長/公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構 理事長 五百旗頭 真

(いおきべ・まこと)1943 年兵庫県出身。京都大学法学部卒業。同大学法学博士。神戸大学法学部教授、防衛大学校校長、熊本県立大学理事長などを経て、2018年4月から兵庫県立大学理事長。この間、日本政治学会理事長、政府の東日本大震災復興構想会議議長などを歴任。文化功労者。『米国の日本占領政策』、『日米戦争と戦後日本』、『占領期―首相たちの新日本』、『戦後日本外交史』など著書多数。

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