マネプラ・オピニオン スマホを忘れただけなのに(松本 紘)

本コラム「マネプラ・オピニオン」は、6名の識者の方々に輪番制でご担当頂きます。それぞれがご自身の視点で経営者の方々へのメッセージをまとめた連載コラムです。



Meta(超)とUniverse(宇宙)を組み合わせた造語「メタバース」、という言葉を耳にする機会が増えた。仮想空間の中で娯楽はもちろん、現実の世界とリンクしたビジネスまで、つまり「生活」を楽しむことができる。一過性のブームに終わらず、市民生活に「溶け込む」インフラになるだろうか。


21世紀最速で生活に溶け込んだインフラは「スマートフォン」だろう。初めてiPhoneが発売されてからか僅(わず)か14年、今では世界で13億台のスマートフォンが、毎年、出荷されている。


通話やチャット、オンライン会議や授業、あらゆるシーンで大活躍している。防水や生体認証機能もあり、個人情報から何気ないメモまで残すツールとしても優秀だ。


私も「スマホ依存者」の一人である。そんな私が、先日、奈良の自宅にスマートフォンを忘れたまま、東京での仕事へ向かってしまった。2日間ほどスマートフォン・レス生活を送ったわけだが、不自由なことこの上ない。駅や新幹線では公衆電話が見当たらない。そもそも、電話番号を記憶しておらず、家族や秘書にも連絡が取れない。改札では切符が発券できず、車窓から雪化粧の美しい富士山を写真に収める機会も失った。目に焼きつける機会を得たとも言えるが、惜しいことをした。


スマートフォンは脳に対する外付けハードディスクである。次の予定やパスワードなど、個人情報を詰め込む方も多いことだろう。その意味ではデジタル金庫とも言える。金庫は、目の前にあれば、どうにか開けることもできよう。しかしスマートフォンは、手元にあっても、パスワードがなければ情報にアクセスできない。スマートフォンのパスワードさえ、スマートフォンの中かもしれないのに。


世の中の進歩がもたらす利便性の活用は、決して悪ではない。しかし、便利なツールに使われる自分であってはならない。私の座右の銘である「自鍛自持(じたんじじ)」を、私自身、再度、実践するときである。


メタバースがインフラとして普及したとき、私たちの脳はきっと簡単に「騙される」だろう。メタバースは果たして、我々人間をどこまで人間らしくいさせてくれるだろうか。


スマホを忘れただけで、このような思いに至るのは大げさかもしれないが、科学技術の発展と、その恩恵にあずかるヒトの心のあり方のバランスが、これからも保たれることを願いたい。


◎「SMBCマネジメント+」2022年2月号掲載記事

プロフィール

公益財団法人国際高等研究所 所長 松本 紘

京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、同大学助手、助教授等を経て1987年教授。宙空電波科学研究センター長、生存圏研究所長、理事・副学長などを歴任し、2008年10月総長(~14年9月)。15年4月より国立研究開発法人理化学研究所理事長、18年4月より現職。文部科学大臣表彰 科学技術賞、紫綬褒章、仏政府レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、名誉大英勲章OBE、瑞宝大綬章 等、国内外での受賞多数。

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